ノーオッケーすぎる

25歳文系大学4年生が、思ったこと・日々の生活などを雑に書きます。

そういえば小学生の頃から長文を書くのが好きだった

こんばんは。卒論が一向に決まらず、ここにきてまさかの留年(奨学金マシマシで)が見えてきたクソキリンです。なんとかして終わらせなければならない戦いが、そこにはある。

 

先日、20代半ばでありながらもゴジラになりきり部屋を荒らし回っていたところ、懐かしの思い出アイテムが詰まった箱が見つかりました。そしてそこに入っていた一冊のノートに、クソキリンの原型を見てとることができたのです。それがこちら。

 

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そう、熱帯魚観察日記であります。

実は、小学校の頃にアクアリウムにドハマりしていました。

アクアリウムは本当にお金がかかるということはさておき、当時11歳5年生だった僕は、文章を書くことの楽しみを覚え、熱帯魚について毎日(毎日!)日記を書き、それを担任の先生に見せびらかしてコメントをもらうという、ツイッタラー顔負けなかまってちゃんをしていたのです。

 

ページをめくってみると、もう15年近くも前の文章でありながら、いかにもクソキリン氏が記述し申し上げそうな文章がそこには並んでいます。小学生にしてはなかなかよくできているし、一方で小学生の頃から成長していない己の文章ぢからに辟易とさせられもする、大変味わい深い作文集であります。

もちろん黒歴史的な面も多分にありますが、それ以上に自分のルーツを感じられる貴重な歴史的資料であります。

 

例えば水草についてこんな記述が。

2/2(月)

今日は水草、流木、石、つぼ、砂などをレイアウトした。流木の形、水草の種類、石の形、水草の植え方、魚の種類、などに不満を持っている。つまり、簡単に言ってしまえば「今の水槽はイヤだ」ということである。お金を預めて(注:貯めて)、ショップで水草を買ってびっしりに植えてみたい。水草は魚をひきたて、美しく見せる。「水草がなく、流木だけ」などの水槽は、いくら魚がきれいでも、さみしい。(中略)とにかく大人になるまでに、まわりから「素晴らしい!!」と言われるほどにきれいな、水槽を作りたい。

 残念ながら当時の夢叶わず、数年後にはアクアリウムから手を引いてしまいましたが、この頃は、水草の色や形でアクセントをつけることだったり、流木の組み方だったり、水槽内のレイアウトについて色々検討を重ね、考えていました。

他にも、魚について子どもらしい表現もあったり:

2/15(日)

カラーブラックテトラ以外は、仲良くしゃべっているように見えるが、カラーブラックテトラは、孤独さえも感じる。さみしそうにただひとり…。

熱帯魚と一括りに言えど、本当に魚の種類はたくさんあり、どこの地域のどこの川に生息しているかというのもまったく違います。大きさや見た目の特徴もあるし、小さい生物ながらに種類によって性格も全く異なります。魚について書かれたパンフレットやカタログなどを読み込んでは、その特徴を感じ取れるまで、魚をずーっと追いかけていました。

にしても、魚の群れを見たときに、魚目線で観察し、そこに魚の社会を感じ取り、魚一匹一匹の生活や思いを考えるなどという、ごく繊細な認知を、果たしてこれからの人生でどれだけ達成することができるのでしょうか。

 

 

観察に関する記述もさることながら、何よりすごいのは、A4ノート1ページ分の記述を、毎日続けていることであります。どんなクオリティであれ、自分が昔から言葉を紡いで文章を綴っていくという行為に強く惹きつけられていたことがよく分かります。

なんだかよく毎日書いていられるなと自分で感心した。いつもなら、5日やればすごい。それが22日もの間書いている。信じられないくらいすごすぎる。

A4ノート1枚を埋める長さの記述を、毎日続けられるということ。そしてそれだけの文章にできるような興味の対象があること。自分がとても豊かな毎日を送っていたのだなあと思ってしまいました。

 

この観察日記は確かこの1冊書き終えたことで終わり、それからさらにしばらくしてからはブログを始めました。そこでも熱帯魚について書いていましたが、ブログとは日記を書くものだということを知り、それからは日常生活であったこと、思ったことなどを書き綴っていました。今とまったく同じ、雑記ブログであります。

それを友人などに見せて、「面白い」と言われたのがたまらなく嬉しくて忘れられず、いまでもその原体験を追体験したくて、こうしてちびちびとブログを書き続けています。

今でもたまに「ブログ面白いです」と、Twitterで言われたりすることがありますが、そういう日は嬉しくて、スクショキメたのち、ずっと踊ったりスキップしたりしています。

 

「自分で考えて何かを表現し、誰かに伝えたい」という思いは、昔から強かったんだなあと、自らの起源(“オリジン”)を感じてしまいました。というお話でした。

自分にとって文章を書くという行為は一つの特別な瞬間であるということを再確認しつつ、これからもブログを続けて参ります。