ノーオッケーすぎる

25歳文系大学4年生が、思ったこと・日々の生活などを雑に書きます。

怒るぐらい余裕ないときは何か削ったほうがいいのかも

こんばんは。夜行性のクソキリンです。ちょっと風邪を引いたりなんだったりしてやさぐれたい気分なので、今日も今日とて暗い部屋で思いの限りをブログにブチかまして参りたいと思います。

 

実は、今年度が始まって間もない小春日和の小春頃、ゼミでニコイチだったマブダチのゼミ長とケンカしてしまったのです。秒で血液が蒸発するぐらい不愉快なことを言われました。人からすればスルーできるようなことかもしれませんが、僕からしたら超えちゃいけないライン考えろよ案件でした。本当に不愉快な思いをしたので、怒ってしまったのです。

しばらくして最終的に表面上は仲直りはしましたが、一度アレしてしまった溝は大きいもので、以前とは全く違う関係性へと変質してしまいました。残念無念また来年。

そしてゼミ長から距離を置かれるだけでなく、他のゼミ生からも距離を置かれている気がしています。よってゼミがひじょーに楽しくないですし、居心地が悪いです。大学サボってばかりの毎日でありんす。

 

というわけで、今となっては怒ってしまったことを大変後悔しています。こういうときは再発防止のために原因を究明することが大事すぎて夜も眠れないですが、なぜ怒ってしまったのかと振り返ってみると、いろいろ余裕がなかったからだろうと思います。

ケンカしたときはシューカツで御社からお祈り申し上げられてばかりだったし、週5バイトとシューカツの並行も厳しかったしで、だいぶ精神的にキていたのだと思います。

そんなときに超絶不愉快なことを言われてしまったので、我慢ならなかったのです。

 

しかし、それでもその怒りを上手に処理するべきでした

怒りで相手を動かせることは少ないし、たいてい怒りによって相手との関係性は崩壊します。そしてそれに加えて、全く関係のない人が、怒る人から距離を置こうとしたりもするわけです。当然ですよね。怒るような人と仲良くしようとする人なんているわけもないです。

さらに、こちらの政治的なパワーバランスが悪ければ(つまり、相手の影響力のほうが大きければ)、事実関係うんぬんを抜きに無条件で、こちらが悪者になってしまうこともあるでしょう。とにかく、怒ることで得られるメリットは「超短期的にスカッとする」という一点のみで、デメリットのほうが遥かに大きいというわけです。

 

しかしながら、そこまで気を回せるほどの気持ちの余裕など当時はありませんでした。だからこそ怒ってしまったのですが。

 

情報社会の現代ジャポニカでは、忙しく目まぐるしいライフ・オブ・生活をせかせかと生きなければならないので、時間的・精神的・経済的・体力的な余裕というのをキープするのは並大抵のことではないでやんす。

多少の余力があるときも「もうちょっと頑張れるのでは??頑張るべきでは??」という気持ちが働いて、本来であればキープしておくべき余力を、活動のために使ってしまうことが多々あります。よね?

しかしながら、余裕は余裕として存在しているからこそ前向きな力を与えてくれるわけです。これは「シンプルさ」と一緒です。ミニマリストのライフスタイルは極めてシンプルですが、そのシンプルさは余白によって形作られています。その余白を削ってしまっては、シンプルさは台無しになってしまいます。

 

常に8割の力で生きて、残り2割は本当にリラックスして生きていたいものであります。10割で頑張っても、どうにも幸せに生きていられそうにありません。少なくとも僕個人が他人と優しく共存していくには100%の力を出しているようではダメっぽいです。2割の余力は8割のエナジーのために、絶対領域として確保しておきたいです。「そのためには何かを削れ、得るには捨てろ」、そんなことをミニマリストたちからは教わった気がします(うろ覚え)。

 

というわけで、余裕あるハピハピライフを送るためには、大事じゃないことを切り捨てる勇気が必要なのかもしれません。

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