ノーオッケーすぎる

25歳文系大学4年生が、思ったこと・日々の生活などを雑に書きます。

好きな映画の登場人物を好きなのは本当に自分なのか問題

こんばんは。コーヒージャブジャブ漬けキリンこととぅみーろです。コーヒーが好きすぎて、今も鼻にコーヒー豆を詰めながらブログを書いています。香りがたまりません。さしずめカフェイン中毒といったところでしょうか。汗から通常の7倍のカフェインが検出されています。

前回「ブログ書く気ないわ〜〜〜」みたいなこと書いた気がしますが、なんか書きたい気分なので書かせてください。

 

さて、数年前、浪人の果てに現実逃避の手段として「映画鑑賞」を見つけた僕ですが、いまでも映画をよく見ます。よく見るけれど、あまり映画に関する知識や持論とかはないですし、映画1本見ても感想を持つどころかあらすじの説明すら怪しいのですが。しかも洋画しか見ないのですが。まあとにかく、あくまで自分が楽しめるかどうかという基準のみで、ただ自分が見たいものだけを純粋に軽い気持ちで楽しんでいます。

映画ってサイコーなんですよね。現実的な“非現実的ストーリー”を、カネにモノ言わせた製作で、スクリーンしかない環境で、楽しめるんです。映画を見ている間は、平凡で退屈で刺激のない日常から離れて、クールでホットでエキサイティングなエクスペリエンスをエクスペリエンスできてしまうのです。これってすごくないですか? トリビアになりませんか? もう、完全に没入しちゃいますよね。普段考えていることや気になっていることなんて、あれよあれよとフライアウェイ。楽しい世界が待っています。

 

たくさんの映画を見ていれば好きな作品というのも当然出てくるわけで、好きな作品が見つかれば当然好きなキャラクター(登場人物)というのも出てくるわけです。しかし、そんな好きなキャラクターに関してちょっと思いを巡らせてみると、自分の好みが嘘のような、疑わしいような、やっぱり何か夢を見ているような、そんなかんじがしたのです。谷川俊太郎は言いました。“この気もちはなんだろう”。谷川俊太郎はこうも言いました。“なんでもおま◯こなんだよ”。

考えてみれば、どちらも生身の人間とはいえ、映画に出てくる人物というのは架空の人物だし、そもそも演技だし、真実性という点からいって現実の人とは対極に位置するので、違いを感じることはなんらおかしなことではないのですが。

映画では、どの登場人物も、2時間という時間的制約とともに、人物描写においても制約の中で描かれます。たかだか2時間程度の中で、観客にストーリーや人物性を伝えるがために、一人の人物のどの一面を描くかが決められているわけです。したがってヒーローはヒーローに徹しますし、悪役は悪役に徹します。この制約により、登場人物一人の人物全体を見ることはできず、限られた一面しか見ることができなくなりますが、逆に焦点を絞り単純化しているからこそ、我々人類は映画を何倍も楽しめているのです。

一方で、この「人物を一面でしか見ていない」という現象は何も映画という虚構の中だけでなく、現実の中でもたくさんあります。誤差はあれど、基本的には上司は上司でしかないし、親は親だし、先生も先生でしかないです。我々は人を見たり人と接するとき、その人の一面しか見ていないわけです。そして、人を好きになるプロセスにおいても同様で、無意識的に「◯◯として好き」といった「一面だけに対する好意」を抱いているはずです。こういった現実との共通点は、映画に説得力をもたらします。これにより、我々人類は映画を何倍も楽しめているのです。

 

ところで、特定のキャラクターに対する「好き」という気持ちが成立するのは、あくまでその映画の中でそのキャラクターが他のキャラクターと関わっているからこそ、「好き」という感情が生まれるのだと思います。自分自身が作品の中の誰かになりきって映画を感じている(いわゆる「作品に入り込んでいる」)からこそ、特定の人物を好きになれるのです。これは言い換えれば、映画の登場人物の誰かの視点から好きになっているというと言い換えることができると思います。

これってつまり、「登場人物の限られた一面に対する、別人格を経由した好意」ということになります。「あれ? これって本当に自分が好きということなのか?? そもそももしこのキャラクターの多面性を知れたとしたら、嫌いな一面のほうが多くなるということもありうるのでは??」と混乱してしまいそうになります。

はてさて、なんでこんなこと思ったかというと、「確かにこのキャラクターは好きだけど、じゃあ自分自身がこの人と関わりを持ったらどうなるか?」ということを考えたからなのです。僕自身も好きな映画キャラクターというのはいますが、もしそれらの人と関わったとしても、おそらく全てが全て自分にメリットのある人じゃないし、むしろ不快にさえなることもあるだろう、と思ったのです。

まあ、そんなこんなで適当になんやかんやアレしたりしていると、ふだん自分が誰のどういう視点で映画を見ているのかが分析できたりするんじゃないかなあなんて、後付けながら思いました。そんなオチのない話。しかも冒頭で「映画に関して持論とかない」とか前置きしておきながらちょっと語ってしまうという自己矛盾。でも唐突におしまい。適当に文章書くのは楽しいすなあ。

これからもうちょっと勉強して寝ます。アディダス

 

P.S.

今月のあたまでこのブログも2歳になりました。早いものです。まだまだ乳飲み子ですがこれからもよろしくお願いします。