ノーオッケーすぎる

25歳文系大学4年生が、思ったこと・日々の生活などを雑に書きます。

日々の生活の中で映画を見るゆとり

前回ブログを書いてから1ヶ月以上経ってしまいました。久しい時の隔たりがあったためか、こうしてブログを書こうとキーボードを叩く僕の指はまるで子鹿のバンビのようにバンビバンビしています。こんばんは。クソキリンです。実は秋に入ってから当社比で大変忙しくなったので、ブログ全然書けてないです。「忙しくて書けない」、ブロガーはこれを「言い訳」と言いますが。だって忙しいんだもん。忙しくないんだけど。

近況については年末に書こうかなと思っています。と言っても、もう年末が眼前に目の前ですね。早いものです。まあそういうわけで、今日も今日とて雑記です。

 

さて、忙しいというからには理由があるわけですが、その1つは映画鑑賞であります。暇さえあればスクリーンへ駆け込み、スタバで一杯引っかけてはスクリーンへ駆け込む毎日を送っています。そりゃブログを40日以上も書けないわけです。でも今日は思い切って映画と僕個人についての雑記を書きます。果たしておまえは何を思い切ったというのだ。

思い返せば、映画を見始めたのは三浪のときでした。「三浪のときでした」というセリフを言える人の希少さはさておき、受験生生活が4年目になってもなお勉強しなかったのですが、4年目ともなるとさすがにTwitterだけじゃ暇をもてあそぶようになってきました。そこで映画です。TSUTAYAが旧作を100円で投げ売りならぬ投げレンタルをしていたので、こっちもこっちでキャッチアンドリリースです。興味という本能を頼りに、手当たり次第いろいろな映画を見始めました。それからは映画館で公開される新しい映画に対してもアンテナがビンッビンに張られ、「おもしろそうじゃん」と思えば映画館へ突撃するようになりました。

それから半年ほどして、ゴミ浪人生から念願の大学生身分にジョブチェンジを果たし、“精神的な自由”を手に入れた僕は、映画館にエンヤコラサッサと通うようになりました。まあ、他の遊び方を知らないというのも多分にあるんですけどね。

 

そういうわけで、映画を見始めて2年半ほどが経ちました。今週なんて、3回も映画館に行く可能性があります。とは言うものの、映画好きというくくりの中で言えば鑑賞作品数は大したものではないですし、作品自体もメジャーな作品ばかり見ています。あ、洋画しか見てないということも付け加えておきます。

たぶん平均的な人って、映画なんて年に2本見るか見ないぐらいかじゃないかと思います。そしてこれだけ映画を見ていれば、映画について少し語れるようになるんじゃないかと自分でも思いますが、これが、驚くことに、全く語れないんですよねえ。理由についてはいろいろ考えたのですが、たぶん、僕が、バカだからなんでしょうねえ。たまにネットで映画評論とか感想とかあると、「そこまでよく覚えてるな&よくそんなこと考えつくな…」と思います。ああいうの書いてる人って、たぶん、人間の皮をかぶったバケモンですよ。たぶんね。ちょうどおすぎかピーコがバケモンであるように。

そんな自分の不甲斐ないところに気付いて、「あれ、自分って映画見る必要あるのかな。惰性で見てるだけなんじゃないかな」とは思ったんです。それでもつらいことやつまんないことばかりの毎日に、刺激と活力と翼を授けてくれるのはやっぱり映画だったのです。

で、改めて自分が映画をおもしろいと認知し始めた頃を思い出すと、たぶん「現実逃避のいち手段」として見始めたんですよね。毎日が同じで退屈極まる浪人生活に刺激を与えたのが映画であったわけです。つまり、僕にとっての映画の原体験というのはそこにあるのです。たぶん。なので僕が好きな映画というのは、だいたいがハッピーエンドかノーマルエンドだったり、ヒーローが勝ったり、主人公が目的を達成する、という分かりやすい映画です。もしかしたら、ここらへんの原体験が違ってくるからこそ、映画の好みも人によって変わるのかもしれません。

 

というわけで、「楽しくない現実に楽しさをもたらしてくれるのが娯楽であり、その一つとして映画がある」といったありきたりな結論に陥ってしまいましたが、これに関連して、「生活に余裕がないとできないこと」をすることって重要だなあと思ったのです。

余裕って、生活においてとっても大事じゃないですか。というかあらゆることにおいて重要ですよね。お金にも時間にも精神にも引き出しにも、余裕というのはあってほしいものです。余裕があるからこそ上手くいく、みたいな。2割の余裕があるから、残りの8割を頑張れる、的な。

そしてそういったあらゆる余裕を生むのは、「あっ、オレ余裕ある生活してるな」という精神的な実感ではないか、と思っています。しかし、パンダが「笹食ってる場合じゃねえ!」と言って走りだすように、人もある程度忙しくなってくると、そういった「余裕のあるときにしかできないこと」を切り捨てようとしがちです。人も笹食ってる場合じゃなくなるのです。

でもたぶん逆で、忙しいときでも余裕な行動を取り入れることで、「あっ自分まだ余裕あるんだな」と自らに余裕があることを再確認できるのではないか、ということです。逆に言えば、「そうは言ったってそんな暇ない」という人は、たぶん限界を超えた非持続的な生活を送っているのではないでしょうか。

ちなみに、余裕ある行動には映画鑑賞のほかにも読書やその他趣味一般があると思いますが、いずれにしても、しっかり集中して楽しめないならば余裕がある行動ではないでしょうし、いくら時間を費やしても余裕を感じることもできないように思います。「ONとOFFをしっかりアレするのは大事」という一般的アドバイスにもつながりますね、うんうん。

 

というわけで、もしかしたら僕は映画を見ることで、無意識ながら生活にゆとりを感じているのかもしれないなあと思いました。もしかすると、余裕を感じるために映画を見ているのかもしれません。そこらへんの真実は闇の中ですが。文化って大事だなあ、ということに気付いたのでした。

 

さて、40日ぶりに適当に文章を書いてみたらやっぱり全然うまくまとまりませんでしたです。相変わらず徐々に力がなくなっていくブログスタイルですが、今後はちゃんと構成を考えてから書けるようになりたいです。なんかいろいろ言いたいこと思い浮かんできちゃって、自分でも何言いたいか分かんなくなってきたので、終わりにします。今月もう1回ぐらい書きたいと思っています。そして来年こそ頻繁に更新できたらいいなとおもってます。がんばります。おわります。