ノーオッケーすぎる

25歳文系大学4年生が、思ったこと・日々の生活などを雑に書きます。

伝えないことで伝えるコミュニケーションはもう〜 やめよう〜

おはようございます。天の川が輝きすぎていたせいで夜も眠れないとぅみーろです。みなさんは七夕の願い事は叶いましたか?(まだだと思う) 僕は最近は日頃の会話不足で発声機能を少しでも衰退させないように、音読を始めました。青空文庫、ありがとう。

 

さて、今日は「伝えないことで気持ちを伝えるタイプのコミュニケーション」についてです。大学や友人などを見てる限りでも見つけるし、インターネッツを彷徨っていても見かけますし、自分自身についても自覚するときがあります。人とすれ違いを起こすときの、ありがちな原因の1つのように思います。

伝えないことで伝えるというのは、人と接していて何か少しムッとすることや違和感を感じることがあって、でもその気持ちを相手に素直に伝えることが難しいような関係や状況のとき、そのフラストレーションは相手に伝えずそっと胸にしまって、言葉としてはまるでなにもないように発言するけど、態度には現れてしまっている、というような状況。本音と建前の使い分けというか。

例えば、「怒ってるの?」という問いかけに対して「別に……(エリカ様〜)」と答える状況を考えてもらえれば分かりやすいかもしれません。言語的には怒っていないことを表明しておきながら、ノンバーバルなところ(ここでは話し方、声のトーン、間の置き方、顔の表情など)では怒りを表現しているわけです。

 

こういった言外の要素は、気持ちや主張を伝えるときに補助的に用いるのがベストであって、メインの主張を伝えるためだけに用いるべきではないと思います。喜びを表現する際の笑顔はオッケーで、エリカ様はノーオッケーというわけです。ノンバーバルな部分に頼って相手に主張を「察してもらう」というのは、いわば相手に依存したコミュニケーションのやり方であって、無責任で、相手に甘えたやり方だと思うのです。

また、こういった「伝えないことで伝えようとするコミュニケーション」を好む人というのは自分の気持ちを相手が察してくれないと怒りに傾く傾向が強いように思います。

 

少し話がそれますが、こういった相手依存なコミュニケーションというのは、多分相手との心理的距離が近いからこそ起こりうる現象なのだと思います。反対にその場限りのような状況であれば、多少自分の気持ちを抑えてもうまくやり過ごすことができる……と思います。相手と親しいからこそ生まれる相手への期待感によって、こういったコミュニケーション手法を取ってしまうのではないでしょうか。

 

相手の距離感が近かろうが遠かろうが、いずれにせよお互いにストレスの少ない方法で意思疎通が図れるのが理想だと思います。そのためにも、思ったことはちゃんと言葉でしっかり伝える必要があるでしょうし、かといって感情に任せて相手を傷つけるような過激な言葉を使わないよう、言葉選びには十分注意したほうがいいのだろうと思います(ただし、負のエネルギーは莫大なので、そこまで相手に配慮できるかというと難しいところです)。

または、もし自分の気持ちを伝えないということに決めたのであれば、それは相手には微塵も感じさせないぐらいまで貫徹させて、そして相手の言動をしっかりと受け入れるべきなのだろうと思います。

 

とは言っても、それができない人がたくさんいるから、よくあるすれ違いの原因なのだろうと思います。身近な相手に対して、自分の気持ちをやさぐれることなく上手に伝える方法というのは、なかなかそう簡単に見つかるようなものではないのかもしれません。見つけた方はこちらまでご一報くださいです。

 

というわけで今日は盛大にブーメランな記事を書いたので、「自戒を込めて」という言葉をもって、記事と自分の首を締めくくらせていただきます。ウ゛ッ゛!!