ノーオッケーすぎる

25歳文系大学4年生が、思ったこと・日々の生活などを雑に書きます。

雑記:disると人はすぐしぬ、段階を踏む必要はあるのか、マジレスすると人はすぐしぬ、の3本です

こんばんは!あけましておめでとうございます!遅ればせながらとぅみーろです!遅ればせながらあけましておめでとうございます!いつのまにか2015年になってしまいましたね!気付けばもう1月もあと1週間というところです。早いものですね、もう2015年も6%ほどが過ぎ去りました。

 

あっそういえば年末年始挟んで冬休みが14日間あったのですが、人と会ったのはそのうちたったの2日間だけでですね、残り10日は無駄にサンマルクかスタバに行って人のざわめきに紛れ込んで寂しさを誤魔化すか、はたまた1日ベッドという戦場で絶望感とアツいファイトを繰り広げるかという至極非人道的な冬休みを過ごしていたんです。ほんともうこうして人と話すことが続くと発狂しそうになるんですけどね、まあそんなわけで学校始まっても特定の仲良しなどいない僕は相も変わらず人と話すことがほとんどなくてですね、発狂しそうでちょっとメンがヘラってるんですけど、かといって闇に飲まれてうだうだ何もせずにいるのもよくないと思うので、なんかもう勢いで適当に思ってること書きますね。明日テストなんでテスト勉強しろよって話なんですけどね。雑記です。

 

disると人はすぐしぬ

死なないんですけどね。タイトルは煽っとけってよく言うじゃないですか。言わないかも。

なんていうか単純に、disられると気分よくないじゃないですか。人類は不快になると他人に不幸をもたらしがちなものだと思うので、まわりまわって結局自分がつらい気持ちになるっぽいな?っていうのも理由なんですけど、もう1つ理由がありまして。

disるってことは否定するってことだと思うんですけど、それすなわち自分自身の生き方の可能性を閉ざすことでもあると思うんですよ。例えば母親disとかあるじゃないですか。仮にとある母親の行為をdisったとします。その後自分が母親なり子育てする立場になって思いのほか大変で疲れちゃったっていうときに致し方なく自分が以前disった行動を取らざるを得ないとするじゃないですか。そのとき、自分が鋭く否定したことをしてしまうので、たぶん罪の意識や自分に対する嫌なイメージを感じてしまうと思うんですよ。それってめっちゃつらいことだと思うのです。生きづらい。

それからもしくは、一度disってしまうと、disってしまった手前、その言動が必要なときでもその言動を行使できなくなることもあると思うんです。「ぐぬぬ…」状態といいますか。それもそれでつらいんじゃないかなって思うます。

ただそうは言ってもdisることで改善 - kaizen - が生まれるということもありうるので、disることを完全に否定する気もないんです。disる際はもっと注意深くなって、建設的な批判と、自分が想定できないような相手方の事情の考慮という思いやり、それから優しくそっと伝えるコミュニケーショーンの技術というのは大事だな、と思うのでした。人間はだいたいみんなザコなので自分がいつdisられるのかなんて分かりませんし、そこらへんお互いお手柔らかにしておくとなんかいいかんじ!

 

段階を踏む必要はあるのか

姉が大学生のとき、確かフィリピンかどっかにボーランティーアしに行ってたんですけど、今こうして自分自身が大学生になってみると「行動力やばぽよかよ…」って思うんですけど、当時僕自身は高校生で、しかもやさぐれハートの持ち主だったもんで、「家に帰ってきて食べ物がないとすぐ不機嫌になる人間のくせになーにが海外ボランティアだよ。まずは身の回りの身近なところから変えてみろよ」って思ったんです。スケールの小さい世界で立ち回れない人がスケールの大きな世界に行くのはおかしい、という、インターネットですぐ見つけられそうなタイプの批判です。

でも、そんなことないですよね。確かにわざわざ海外に行ってまでボランティアするぐらいの人間なら、もっとスケールの小さな世界でも立派な人間であることが前提としてあってもおかしくない、もしくは当然であることのようにさえ思えます。でも実際そんなことなくて、姉は家というレベルの場所にわざわざリソースを割くよりも、興味がある海外でのボランティアにリソースを割いたわけです。ただそれだけだし、しかもそれは別に悪いことじゃない。「帰宅して食べ物がないと不機嫌になること」と「海外でボランティアをすること」との間には、なにも矛盾する要素はない。

こういった「一見すると段階をステップアップで踏んでいかなければならないように見えること」というのは生活の色んなところでちょいちょい存在するように思います。でもそれが本当に段階的な構造である必要があるのか、ということを検討する余地はあるんじゃないか、と思いますです。別に良し悪しの判別を含まないことであってもね。

 

マジレスをすると人はすぐしぬ

これはすごい個人的な反省、かつ新年1発目のブログに相応しい抱負的な内容なのですが。なんでもかんでもマジレスしちゃうんです(悩み)。でも僕のマジレスが欲しい人なんて文字通りただの1人もいないと思うんです。たまにマジレスを見聞きした人が何かを得られることもあるかもしれませんがそれは偶然であり、基本的にマジレスというのは至って自己満足でしかないものなのだと思います。望まれていないマジレスなんかするよりも、おもしろいことのひとつでも言えて人を笑顔にできたほうがよっぽどすげーじゃんって、“気付いちゃった”んスよ、オレ……。

disると人はすぐしぬっていうのとちょっと似た領域でもあるんですけど、そういうわけで、人でも物でも事件でも、何か対象に対してマジレスするのはやめなきゃな、と思う次第であります。ドイツのことわざでも、「マジレスを堪えてこその一人前」というものがあります(ありません)。

もうちょっと適当に抽象度をあげぽよすると、相手の望みを的確に見抜いてそれに応えるのって大事だよね~とも言えると思うんですが、そんなハイレベルなことすると人はすぐ死ぬので、僕ももう少し具体的な「とりまマジレスを控える」というところから始めたいと思います。でも根が「クソ真面目」なので、なかなか難しいなあと、日頃Twitterで感じています。

 

 

まあ結局アレなんですよ、バランスなんですよ。みたいなかんじで無難にまとめあげて、とりあえず今日はこのへんで終わります。

余談だけど、テスト勉強しなきゃいけないのに勉強に取り組まないの、浪人時代思い出すし、おれ何も変わってないな??“圧倒的成長”への旅はまだ始まったばかりのようだ。