ノーオッケーすぎる

25歳文系大学4年生が、思ったこと・日々の生活などを雑に書きます。

言葉の重みに無自覚な人間

たぶん言葉が持つ力を知らない人や、それに無自覚なタイプの人というものが存在すると思う。言葉の意味や用法は一通り正確に分かってもなぜその言葉がその場面で適切だったりまたは不適切であるのか、その間にある差異が分からない人。または自分が投げかけた言葉が他人に対してどういう意味を持つかは分かっていても、どれぐらいのインパクトを持っているか、その量的な度合いが分からない人。測定するのは難しいだろうけど、たぶんこういう人はいると思う。

こういう言葉の力に鈍感で無自覚な人というのは、他人を不用意に傷つけたりする。極端な例で言えば、「死ね」とか「バカ」という言葉を他人から投げかけられると、受け止める側としてはすごく重苦しいものとなる。例え冗談だと分かっていても傷つく人もいる。けれど人を傷つけるために存在するそういった鋭い武器のような言葉を投げる人に、その言葉が持つインパクトは分からない。

それから、こういう人はきっと人からの信頼も失うのだろうと思う。例えばこういう人が何かをしなければならないときに「必ずやります!」と宣言したとしても、おそらく「必ず」という言葉の強さを理解していない。何かをしなければならない状況のときに「必ずやりますから」という言葉が定型として使われうるということは、日本語を用いて生活していれば誰だって学習するから、口からは反射的に簡単に出てくる。言葉が持つ意味の強さの度合いを知らないから重い言葉であっても簡単に使ってしまうが、意識にはその言葉の強さが反映されないので、発言と行動との間に食い違いが生じる。そして失言が生まれたり、嘘つきのレッテルを貼られる。

それから、発言の重みも分からないから、同じことについて発言しても全く意見が変わってしまう。言うこと考えることがコロコロ変わってしまうので芯がないように思われたり、「あいつは気分屋で付き合いにくい」と思われたりする。

こういった言葉の強さに無自覚な人が全く誠実に見えないというのは言うまでもないけれど、同時に、誠実でないというよりはむしろ言葉を単に無味乾燥とした記号としてでしか使っていないのではないか、とも思う。だから、もし言葉が軽い人というのがいたとしても、おそらく本当のところは当人は深く考えていないのだと思う。どんなに本気で言ってるように見えても実際は本気ではなくその場の雰囲気に合わせて過去の学習経験から最適そうな言葉を選んでいるのだと思う。それゆえ言われた側は傷つく必要はない、と言い切ってしまうのは無理があるけど、少しでも意識の片隅に置いておくと、少しぐらい気が楽になるかもしれない。もちろん、だからといって優しく接する必要もないし、距離を置くのがその人自身のためになるとは思う。

 

なんでこんなことを書くかといえば、自分自身がまさにこの無自覚な人間だからである。言葉の意味の強さが本当にいまいち実感できなくて、人をしょっちゅう傷つけてしまい、あとで後悔したりすることが山ほどある。傷つけてしまった人にも信頼を失ってしまった人にも、どんなに説明したところで取り返しはつかない。コミュニケーションにおいては受け取る側が受け取ったものが真実となるので、難しいな、と思わされる。