ノーオッケーすぎる

25歳文系大学4年生が、思ったこと・日々の生活などを雑に書きます。

カウンセリング受けた時のお姉さんがすごく優しくてねえ

こんばんは、おはようございます、そしてこんにちは。とぅみーろです。最近Evernoteの個人的なツイートのようなメモを見返していたら、ああそういえばカウンセリング受けてたなあと思い出したので、カウンセリングに至るまでの思い出を振り返ってみたいと思います。カウンセリングで具体的にどういうことを言われたのかとかはまた別の機会に。

 

 

時が戻ること約半年、ちょうど4月初めの大学入学式の前後の頃でした。この頃は3年ぶりに大学入学という形で社会復帰することや新たな環境に放り込まれることが確定し、なおかつ彼女に別れを宣告されたりと、精神的にかなりどえらい状況に追い込まれていました。そんなわけであってひたすら死にたいなあと思っていて、深夜に自転車走らせロープを買いに行ったりしていたわけです。そんぐらい、精神的につらぽよの極み生活だったわけです。

 

そんな頃に高校のおともだち♂と久しぶりに会おうじゃないかという話になって、安くておいしいイチオシイタリアンレストラーンことサイゼリヤにて、久しぶりの再開を果たしました。彼は優しさの塊かよみたいな優しさの塊でできているので、色々と話を聞いてもらいました。自分がいまどんな環境にいるかとか、彼女とのアレコレとか、あとはまあ三浪の話とか、これからどうするかとか。

 

そういうお涙ちょうだいモノの身の上話を話して「つらぽよ~」「つらぽよ~」と嘆いていたところ、「カウンセリング行ってこい」と、大学の学生相談室に行ってくるよう言われました。そのときの僕の反応としては「う~んたぶん行く行く」みたいなかんじだったのですが。

 

その数日後、学校に行く前に、彼女から改めて「別れましょう」みたいなLINEが来て、「ハァ~つらぽよかよ」とか思いながらも学校に行き、所用が済んだのち、勇気を出して学生相談室の門を叩いてみたのです(弟子入りかよ)。

 

入室して「すいませーん」と挨拶してみると、どうやら一見さんはまず紙に個人情報やら相談内容を書かなければならないということが分かりました。かといっていきなり「死にたい」とか書くのもアレすぎるよなあと思い、ちょっと書くのに悩んだのですが、結局「精神的につらい」と書きました。雑すぎる……。

 

そうして中に通され小さな部屋で待機していると、なんだかおとなしそうなお姉さんが入ってきました。とりあえず元気でピンピンしている人じゃなくて良かったなあと一安心したのを覚えています。でもやはりそれと同時に、緊張していたことも覚えています。

 

そうして「じゃあ、言いたくないことは言わなくていいから、どんな風につらいのか話してもらえるかな?」と、慈愛に満ちた表情と本当に優しい声をしたそのお姉さんとの対話が始まりました。

 

自分が悩んでいることを言える相手なんて本当にいなかったので、前述の高校のおともだち含め、本当にありがたい機会となりました。

 

しかしながら、自分の中にある、えげつなく重い感情を、自分以外の人間に、まして親しくもない相手に伝えるというのは、体感としては、文字通り心臓を差し出すかのような感覚でした。自分の胸に手を突っ込んで心臓を掴んで相手に差し出すような、生きるか死ぬかのような緊張と感覚。誰も知らないような本当に弱い自分を無条件にさらけ出すというのは、とても恐怖をかき立てられるものでした。と同時に、この人は(仕事である以上)きっと受け入れてくれるだろうという希望的な安心も感じていました。

 

そんなわけで、最初のほうは怖さに声と体を震わせながらもなんとか普通に自分の状況や感情を口に出して受け答えしてはいましたが、途中から感情が大きく揺さぶられてしまって、思い切り泣いてしまいました。信頼できる人がいない上にコミュ力もない自分がこれから4年間の大学生活を過ごすというのは、ものすごい不安要素だったのです。

 

泣き始めてしまったときにお姉さんがティッシュを渡そうとしてくれましたが、僕は「アッすんませんダイジョブス。。」と言ってタオルハンカチを取り出し、顔を抑えました。泣き顔を隠すのは大人のエチケットです。泣いてるときの歪んだ顔を見られるのってめっちゃ恥ずかしいですよね~分かる分かる。

 

ところで、この話を聞いてくれたお姉さん、やはり仕事ではありますしプロであるから当たり前なのかもしれないですが、それはもう本当に優しさに満ちているんです。僕はこの人以上に優しい人を、今後の人生の中で見つけられるのだろうかとさえ思います。自分がどんなに不合理で欠点だらけの人間であっても、その優しさをもってして「うん、うん」と話を聞いてくれて、自分の内外のあらゆる要素、その全てを受け入れてくれるようなかんじ。無条件に受け入れてくれる優しさというか。初対面なのに本当に心地よく話せるので、すごいなあと素直に感心してしまいました。

 

それであーだこーだ話していたら時間が来て、最終的に次回から臨床心理士の方によるカウンセリングを受けてみることになり、カウンセリングが始まったのです。

 

 

というわけで、このお姉さんはもはや命の恩人なのです。この人に話を聞いてもらえなかったら立ち直れなかったかもしれないし、下手したらまたスイスイスイサイドしようとしていたかもしれないなんて思います。そんなわけでいつかお礼をしたいなあと思っていますが、まずは自分がちゃんとハッピーになることが前提として必要だよなあと思うので、まずはハッピーな日々を過ごせるようになろうと思います。だいぶ立て直したけどね。

 

それから、人を助けるということがどういうことかについても、ちょっとだけ分かったような気がしました。もし自分に助けを求めてきた人がいたとしたら、きっとその人も僕と同じように弱い自分自身をさらけ出すときの恐怖を背負いながらも希望を持って助けを求めてきたのであり、その希望は絶対に潰してしまってはいけないな、と。

 

悩んでいる人を助けるというのは、相手の心にあるドロドロとした重い負担を、自分が同じように苦しみを味わいながら背負うことなんだろうなと思いました。今回のようにプロフェッショナルが人を助けるなら話は別ですが、仮に僕が人を助けるとしたらそれは無償の行為だと思うし、きっと僕にはメリットなんてないのだと思います。そのときに、相手の苦しみを自分のものとして背負って共有しつつ、なおかつ自分も潰れずに相手を立て直す手助けをするというのは、そう容易にできることではないなと思います。自己満足や自己陶酔という動機だけでは絶対に人は助けられないのだろうなあと思いました。本当に精神的な強さがないと共倒れになったり、そもそも相手を救ってあげることができないと思います。

 

そういう覚悟ができていないのに、ただ同情や助けたいという一心のみで助けの手を差し伸べるというのは、間違いなのかもしれません。

 

そんなこんなで、僕もいつかは人を救えるようになりたいなあと思ったのであります。果てしなく長い道のりです。