ノーオッケーすぎる

25歳文系大学4年生が、思ったこと・日々の生活などを雑に書きます。

いいことをしよう

昔はすごく尖ってて、丸か四角で言えば完全に四角の人間でした。四角というかもはや八角形だったぐらい。思春期という時期である以上多少仕方ないのかもしれないけど、すぐにイライラしていたし、とにかく人をネガティブに見ていたのです。

そこから3年間というニート・浪人時代を経て現在、すごく性格が丸くなったと思います。なぜそうなったのかはよく分からないけど、それは色々なシーンで感じています。あくまで過去の自分を基準にした比較ではあるけれど。

大学に入り外に出るようになって、単純に様々な出来事に遭遇する機会が増えたけど、そういった出来事に対する自分の対応の変化にただ驚くばかりです。

例えば授業を終えて教室にハンカチが落ちていることがよくあります。ほとんどの人は、気付いていないのか気付いていてなのかは分からないけど、スルーしていく。

でも今の自分はスッと手を伸ばして、ちゃんと事務室まで届けに行く(我ながら偉すぎる……)。今までなら「落とす人が悪いし、自己責任だ」なんて思ってたけど、そう思うことも今ではありません。

届け出たところで落とし主が事務室まで確認しに来るかどうかなんて分からないし、こちらが得をする見込みなんて全くないです。効率化とかライフハックが大好きな自分が、自分の時間を使って何の利益にもならないことをするようになったのです。

なぜこういう行動を取るのようになったのかは分からないけど、今はとにかく、見過ごしたほうが気持ちが悪いかんじがしてしまいます。

電車でも、まあこれはたまにだけど、席を譲ることが以前と比べ多くなりました。譲れば相手に少しハッピーを与えられる!と考えると、自分が座っているのが申し訳なくなってくるのです。

こうした自分の中での変化が、過去3年間の半ば引きこもりの日々から生まれたというのは興味深いなあなんて思ったり。普通、人間の考え方や感じ方の変化というのは、たくさん行動しないと変わらないものだと思います。「行動しなけれら変わらない」みたいなことなんてどの自己啓発書にも書いてあるぐらいだし。(´-`).。oO(まあ自己啓発書読まないんだけどネ

そういった内的な変化が、何もせずただひたすらじっと構えて過ごしていても起こりうるというのは、すごいことに思えるのです。大げさに言えば新たな可能性の発見というか、フロンティアの発見というか。力抜いて生きていく理由付けのひとつになる気がして、もっと楽に生きてもいいのかも?なんて気がしてきます。なんとなく。

スティーブ・ジョブズは「点をつなげる」ということを言っているし、僕の友達の大学生は、OBの社会人が「なんでもない過去のことが後々未来で活きてくる」みたいなことを言っていたと話してくれましま。ちなみにこれは僕の姉(これまた社会人)も全く同じことを言っていたりします。

そんなかんじで、過去3年間については本当に空白だと思っていたし今もそう思ってはいるけれど、今後生きていくうちに、何らかの形で活きてくることもあるのかもしれないなあなんて思ったりしています。こういうことを直感的に思えるようになると、失敗を恐れなくなって色々なことに挑戦したりできるようになるのかもしれない。

さて、話を戻すと、いいことをする人(=善人)に対して、「偽善だ」とか、「自分のためにやってる」と思う人もいると思うのですが、それは違うなあと思えるようになってきました。なんというか、本質的でないかんじがします。どんな形であれ、相手はきっといい気分になれるし、僕は誰かの気分をほんの少しでも良くできたと思うとハッピーになれるし、それはいわゆるウインウインの関係だし、正の連載が産まれると思うのです。あるべき倫理観とか、そういったことにこだわったり本当に純粋な善行だけを行うよりもよっぽど価値あることに思えます。

ちなみに、自己満足と言ってしまえばそれまでですが、いいことをすると自分の心に余裕が生まれて人に対する許容度が上がり、イライラしなくなって生きやすくなるし、それに単純に自己肯定感につながって少し自信が持てるようになります。なので、自分に自信がなくて世界の隅っこでチビチビ生きている僕のような、人生をあまりハッピーと感じられない人は、少し余裕がある人は、いいことをするといいかもしれません。たぶん。

以上、善行積み重ねてる善人がお送りしました。久しぶりに書いたし、スマホからだから疲れたぽよ~。

このまま善行積んでけば天国行き決定ですし、頑張りますね。