ノーオッケーすぎる

25歳文系大学4年生が、思ったこと・日々の生活などを雑に書きます。

親を絶対視しないという見方もあるよ

僕は自分の家族(特に両親)があまり好きではありません。正確には好きじゃなくなったといったほうが正しいのですが。

 

20歳を超えたあたりから、自分の親の不可解さに気付き始めました。1つ例を挙げると、小学生の頃、缶のタイプの貯金箱で500円玉貯金を始めたのですが、しばらくして気づくと缶の底が缶切りで切られ、数枚の500円玉が抜き取られていました。また、投入口しかないプラスティックの貯金箱を使っていたときは、貯金箱に傷1つ付くことなくある日忽然と中のコインたちだけが消えていました*1。自分がもう少し大きくなって貯金する対象が硬貨から紙幣に変わり、1000円札を部屋のちょっと見つけにくいところに隠すようになってもなお、ある日突然お金がなくなっていました*2。驚くべきは、その犯行は母によるものだったということです。

 

親は全ての子供にとって絶対的存在です。子供は幼ければ幼いほど、親の言うことは無条件で信じてしまうし、親の言うこと全てを正しいと感じてしまう。実際、僕自身お金を盗られたときは「またやられた!」ぐらいにしか考えていなくて、窃盗とかそういうようには思いもしませんでした。そして20歳を超えてお金消失事件のことをふと思い返したとき、あれ?これおかしいな?と気付いたのです。

 

もし自分に子供がいたとして、その子が持っているお金を盗むだろうか。それもたかだか3000~4000円前後のお金を。子供がワクワクしながらコツコツと貯めた貯金を盗み取ることができるだろうかなどと考えてからは親を見る目が変わりました。

 

もちろん子供が持つお金は親が稼いだお金であることは間違いないですが、子供に与える以上、与えられたお金は子供のものであるべきだと思います。というかそもそも盗みという行為がよろしくないのであって、お金が必要であれば子供に理由を話してお金を返してもらうというのがフェアというか、普通なんだと思います。

 

話が長くなりましたが、要は「親である」というバイアスがかかることで子供は無条件に親を肯定し、盲信してしまうということです。この作用が悪い方向に働くことで、例えば万引きさせる親と実行犯としての子供というのが出来上がったりするのだと思います。

 

子供がこの潜在的な危険から抜け出すには、いかにして家庭という狭い世界から抜けだして広い世界と関わるかということにかかっていると思うのですが、そもそも子供はこの作用を知らないと思うし、知ったところでそう簡単に親を突き放したりはしないような気がします。

 

中高生になってくると家庭によってはインターネットで広い世界と関われるようになるので、救われるところもあると思うのですが。親を絶対視しない見方を身につけるだけで、気持ちや目の前が少しは明るくなるような子も多いんじゃないかな。と同時に、やはり親になる人にはしっかりした人間性を身につけていて欲しいところです。

 

*1:ちなみに定規を使うことで中のコインを取り出せます。

*2:最終的にお金は畳の下に隠すようになりました。