ノーオッケーすぎる

25歳文系大学4年生が、思ったこと・日々の生活などを雑に書きます。

目の前の事実に意味付けしなくなってからだいぶ楽になった

最近「リフレーミング」という心理学的手法を知る機会がありました。

 

フレーミングとは、自分が知覚した出来事に対してネガティブな解釈をしてしまったときに、一度立ち止まって改めて視点を変えたりや意味付けをし直すことで、ストレスをなくしていこう、みたいなものです。

例えば、ある人に話しかけて無視されてしまったとき。「なんで無視するの!(おこ)」「私のこと嫌いなのかな(さげぽよ)」など、ネガティブな印象を抱きがちですよね。

そういったときにいったん立ち止まって、「いや、聞こえなかっただけかも?」「相手は今、返事ができないぐらい追い込まれている状況にあるのかも?」などと見方を変える(意味付けし直す・再解釈する)ことで、よりヘルシーなマインドをキープ&ステイしようじゃん、という手法です。

実際、状況を整理してみると、「何が起こったのか」という「事実」の側面では

  • 私が相手に話しかけた
  • 相手は返事をしなかった

というだけの話であり、それ以上の情報は推測になってしまいます。客観的事実以上の情報は、事実に自分自身が勝手に「意図的に無視された」「嫌われている」などの意味付けをしているにすぎないのです。要は勝手な思い込みが生じているわけです。

 

フレーミングを知る機会があったとき、リフレーミングという単語こそ知りませんでしたが、リフレーミングのような考え方は大学入ってからいつの間にか自然と身に付けていたなあと感じました。といってももちろんリフレーミングとは微妙に解釈が違うのですが。

 

僕はここ1〜2年で、事実に対してできるだけ意味付けをしないようになりました。意味付けというのは、「この人嫌いだ」「こう思われている」などの、ちょっとエモーショナルなものを、目の前の事実と関連付けることです。

例えば何かイヤなことを言われたとき、「この人は自分のことを嫌っているんだ」とか「なんでこういう言い方しかできないんだろう」とか、そういうことを考えないようにして、様々な可能性を探るように習慣づけたのです。一種のロジカル・シンキングのように。

 

具体的なきっかけとなる出来事はなかったので、なぜこうするようになったのかは分かりませんが、一つ影響を受けたとすれば、「哲学思考トレーニング」という本があります。この本は本当に全人類におすすめしたい一冊であります。

哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545))

哲学思考トレーニング (ちくま新書 (545))

 

前もブログで書いたような気がしますが、この本に「思いやりの原則」と「協調原理」という概念が登場します。

ちょっと抽象的ですが、思いやりの原則とは、「言葉には常に曖昧さや多義性が伴うが、自分の都合に合わせて解釈するのではなく、できるだけ『相手が主張したいことだろう』と思える形で解釈する」という、相手に寄り添った解釈を重視する考え方です。

そして「協調原理」は、「話し手はその場におけるコミュニケーションの目的の達成のために協力的な態度をとるべし」という考え方です。両者をまとめて、この本では

つまり、思いやりの原理が話し手の常識や論理的思考力などについて聞き手がどういう態度をとるべきかに関する原理であるのに対し、協調原理は話し手の側の協力的態度に関する原理である。

伊勢田哲治『哲学思考トレーニング』p.53

とまとめられています。

僕はこの考え方の、ただただ前向きで健全で建設的なコミュニケーションを取ろうとしている姿勢がすごくすごく好きです。

 

で、この考え方を現実に応用するとなると、リフレーミング的な発想の転換が必要だったり、事実に対してニュートラルな姿勢でいる必要があったりします。「もしかして相手は別の意図で言ったのかも?」「自分が勝手に勘違いしてるだけかも?」「他の可能性もあるんじゃないかな?」このフレーズをちょっと頭に思い浮かべるだけで、文字通り世界が変わって見えます。

 

自分に対して敵意むき出しの発言にも、「相手はなぜこういう発言をするんだろう?」と考えるだけで、相手と反発しあうことなく相手との心理的な距離をぐっと縮められるので、より協力的な態度でいられます。これにより、相手の反応を大きく変えることができます。

また、感情が乗っていない分、より冷静に物事を見ることができますし、様々な可能性を考えることにつながるので、想像力豊かなより広い視野に立ち、人と違った視点を持つ能力も高まったような気がします。

ほとんどの人は事実への意味付けを瞬時に行うし、それが恣意的なものであることも知らないので、周りの人と圧倒的な差が付けられるような気がしないでもないです。

 

しかし一方でリフレーミングをしっかり実践しようとすると、意味付けを保留にするだけでなく前向きな考え方で解釈し直すというところまで含むので、ちょっと大変です。

その苦労を知ってか知らでか、僕はただ「事実は事実として客観的に認識する」「意味付けはしない」ということだけ意識していました。こっちのほうが簡単です。

 

前回投稿した「人と仲良くなれないのではなく「親密性」を発揮できていないだけ」というのも、意味付けをいったん保留にするクセが身に付いていたからこそできたことだと思っています。

「人となかなか仲良くなれない。自分はコミュ障でダメなやつなんだ……」と思うのではなく、「本当に誰一人とも仲良くできないわけじゃない。数は少ないけど、仲良くなれる人もいる。きっと仲良くなるタイミングが人とは違うだけなんだ。そのタイミングにはどんな条件があるんだろう?」と考える中で見えてきた、一つの解釈なのであります。

 

これを実践するようになってから、以前であれば失敗していたような場面でも失敗しなくなり、人を嫌いになることも人から嫌われることも減り、特に対人関係においてかなりストレスが減ったように感じています。とにかく生きるのが楽。

人から嫌われるストレスも人を嫌うストレスもなくなり、ちょっとしたことでもあまり悩まなくなりました。常に前向きに「なんとかなる/なんとかしよう」という姿勢でいられるのも、事実に対してニュートラルな態度でいようとする習慣が要因として大きいです。

 

自分がどれぐらい柔軟でニュートラルでいるのかを知る方法として、「あなたの恋人は、普段まったく連絡してきません。なぜですか?」という質問が良さそうだなあと、個人的には思います。

一つの答えに反射的にたどり着いてしまうことや、そこから生まれる感情が「意味付け」であり、逆にどれぐらい多様な可能性を考えられるかが、リフレーミング的に重要な考え方になってきます。

 

というわけで、他人や自分自身やその他ありとあらゆる事象に対してストレスを感じている人には、事実と意味付けの分離をおすすめしたいな〜と思い、ブログを書きました。

最後に、“捉え方一つで世界は大きく変わる”という超普遍的な名言っぽい何かを残して、本日の締めくくりとさせていただきます。