ノーオッケーすぎる

既婚ITエンジニアが、思ったこと・日々の生活などを雑に書きます。

何が受け継がれ、何が削ぎ落とされていくのか

こんばんは。とぅみーろです。こうして2ヶ月ぶりに平日深夜に唐突にブログを書いているということはすなわち、連休を取得しているということです。

 

8月も半ば、お盆ですね。Twitterでもお盆らしくご先祖様を迎えている方が見受けられて、ああいいなあと。そしてそれができるってすごいなあと思い立ったが吉日、ブログをしたためております。

 

僕の実家は長い年月をかけてゆるくそして確実に崩壊に向かい、今もなんとも言えない状態で落ち着いています。家族構成員それぞれのライフステージを考えるとこれも現代家族の形としてまあ一つの解なのかなとも思うのですが、僕は5人家族のうちの2人とほぼ縁が切れている状態なので、やっぱりちょっと異常値感も否めない気もします。きっと各々がそれぞれに複雑な心境を抱えて家族という関係性に向き合いながら、一方で正直もう疲れたのでこれ以上の面倒事は起きないでほしいしそっとしておきたい、と思っているのも事実でしょう。

僕が小さい頃は、親の実家に帰ってはお盆らしくご先祖様を迎えたり、お中元を送ったり送られたり、毎年年賀状を書いたりと、今思うといろいろな日本らしい行事や風習を行っていました。雛人形飾ったりもしたし、クリスマスにはクリスマスツリーもあったし、サンタさんも来たことがあります。遠足で見つけた四葉のクローバーを押し花とする方法を母に教わったりもしました。今考えれば、Googleなしに文化的なアレコレをできるというのは相当にすごい蓄積があったものだなあと思います。

そんな深い追憶に心の矛先を向けると、個人的なエモエモノスタルジーがあったりもするのですがそれはそれとして……(遠い目)。

 

でもそんな毎年の恒例行事たちも、いつの間にか、まるっとなくなっちゃったんですよね。親が共働きになり、夫婦喧嘩が増え、子供たちも子供たちで大変で、親は金と家庭を回すことで精一杯になって、でもうまくいかなくて、全員がしんどい思いをする中で、それぞれの目の前に現れた山を超えていくことしか目に入らなくなってしまった。

そうなると、やっぱりお盆とかやってられないし、親も実家に帰るお金もないし、おせちもとりあえず適当に買ってきたものとかになっていく。家族で過ごすクリスマスも、親は働きに出かけて、子供たちはクリスマスでない日と同様に過ごしたり。季節を彩る特別なイベントひとつひとつが、何も変わらぬ日常に侵食されていくかんじ。

 

子供だった当時は本当になんとも思わなかったけど、今となってはなんとまあ文化的に豊かでない生活だっただろうか、と思うわけです。もしこれが、生まれたときからこうだったらどうだったのだろうか、と。

お正月は年末年始特番を見るだけで、初詣もおせち料理も本で見た世界。お盆のきゅうりやなすも、もはや見知らぬ宗教行事でなんの意味も感じられない。お雛様や鯉のぼりは商業施設で飾られるもの。。

結果として、今僕はお盆とか正直何もしないし思わないし、おせちも作れないし、正直神社のお参りのお作法とかも正直あんまりよくわからない。ググればできるだろうけど、そこになんの意味も感じられないような大人になってしまいました。

その、代々受け継がれてきたはずの文化の損失が、ちょっと悲しい。本来は脈々と各家庭で受け継がれていくはずのものが、自分の親と自分自身との間でうっすらと消えていってしまったような感覚。あと、親の目線で考えて、そういう風習やしきたりをしっかりと後世に伝えきれなかったというのは、それを信じる者としてはなかなかしんどい思いもあったりするんだろうなあ、なんて思ったりもします。

 

とはいえ今の時代の特徴の一つとして、そういう継承のプロセスが消滅しつつあり、後世に継承されなくなってしまっている部分も多分にあると思います。今後はじわじわとそういうことを気にしなくなっていく、というか。所詮民族的な風習なんて年月とともに廃れたり変わったりするものだし、今はそういうのが変わっていく過渡期なのかもしれません。しらんけど。

 

そんな時代をこれから生きねばならぬのですが、じゃあ自分の子供の世代に何を残してあげることが豊かなことになるんだろう、と考えると、途端に恐怖なんですよね。仮にすべての条件がそこそこ整っているとして、教育をしっかり受けさせて、欲しいものもそれなりに買い与えて、スポーツや音楽をやりたいと言えばやらせてやったとして、それでいいのだろうか?と。自分の祖父母がいて、親がいて、自分がいて、その次の世代として生まれてきた子供に、自分はどんな意味を与えられるのだろうか??などと思うと、ちょっと自信をなくしてしまいます。なんというか、「自分は“ただの家”に生まれたんだ」みたいなことを思わせたくないというか。ちょっとだいぶ抽象的ですが。

これも我が家がハッピーファミリーで、今もなおお盆やお正月などをしっかりやっているような家だったら、考えたりしなかったのかなあ、なんて思ったり。

 

まあ結局のところ人間なんて動物だし、そんなこと考えたってできないことはできないし、できることはできるし。衣食住を与えてやって自立できるように育てあげられれば最低限のラインとして十分なんじゃないかな〜なんて思ってはいるのですが。あまり背負いすぎてしまうと、人はすぐ死ぬ。

 

そんなわけで相変わらず全然ブログ書いてないので書いていることの支離滅裂感が否めないですが個人の雑記ブログなので全力でお許しください。エイメン。

次の世代に何を託すかという壮大なスペクタクルの話を、ぼんやりと考えたり考えなかったりした令和元年の夏の一日であります。